え?鳩森八幡神社?

「将棋ファンが多く訪れる東京・千駄ヶ谷鳩森八幡神社の”王手守”…藤井四段も…」ん? TVを聞き流していたら「鳩森八幡神社」の名が。ひょんなところで知っている名前が出るとちょっとビックリします。^^

 

鳩森八幡神社といえば、あの岡本天明氏が戦時中に留守神主をしておられた神社です。

岡本天明伝」によると、留守神主となった経緯は、

 ・代々木八幡神社の近くに住んでいた天明は、代々木八幡の平岩満雄宮司と懇意だった。

 ・その満雄宮司は鳩森八幡の矢島家の長男として生まれた。(旗本から神職になった家系)

 ・先代の宮司が亡くなった時、平岩氏は十四歳だった為、姉が養子を迎え矢島家を継ぐ。

 ・満雄氏は代々木八幡の平岩家へ養子に入る。

 ・戦争が始まり、鳩森八幡には諸事情で男手がいなくなったので、神職の心得のある天明に白羽の矢が立った。

そうです。

 

鳩森八幡宮富士塚は、最古の富士塚 だそうですね。ちゃんと浅間神社富士塚の頂上には、木花咲耶姫が祀られている奥宮もあるそうです。浅間神社ご朱印もいただけるそうですね。

 

因みに、

天明が初めに祀った富士山は、鳩森八幡神社富士塚一の宮)で、自ら富士塚を造ったのは昭和20(1945)年6月の玉川学園の「奥山」に造った富士塚だ。」だそうです。

 

なにはともあれ、鳩森八幡神社もなにか不思議な力があるようですね。龍脈が通っているとか? 

行ってみたいけど、残念ながらしばらく東京に行く予定はないです。

 

 

追記)

岡本天明伝」をもう一度ササッと読んで、一部をまとめてみました。

 

岡本天明氏は、毎日のように噴出(自動書記)する「ふで(神示)」が、漢数字ばかりで読めないので、鳩森八幡の社務所に放置していた。

・同僚の鳩森八幡の禰宜・法元氏が「ふで」を気に入り奇麗に筆写して三方に納めて保存していたので、当初の神示が散逸しなかった。。ただし、「上つ巻」は原本が紛失したが、法元氏が写本を作っていたので今に伝わっている。

天明氏が奉職していた鳩森八幡には江戸時代の富士講が造った富士塚があった。富士塚から「御土米」が出ると神示があったので、半信半疑で天明富士塚を探してみると、本当に御土米が出た。

※御土米とは、米の形をした粘土質の土塊で、古来、大和三山畝傍山で取れる霊物だそうです。

・神示に出てくる「お山」とは富士山を模した鳩森八幡神社富士塚を指す。(一ノ宮)

 

とこんな感じです。

今、注目を浴びてきた「鳩森八幡神社」が、日月神示で重要な場所の一つというのも興味深いです。

やっぱり行きたいなぁ。年内に行きたいなぁ~。