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「合気眞随  愛魂、舞祈、神人合一という秘法」 読了しました。

保江邦夫著「合気眞随 愛魂、舞祈、神人合一という秘法」を読了しました。

 

前にも書きましたが、昨年の9月に入ってから、テレビをつけたら「合気道」、本を読んでもネットを見ても思わぬところで「合気道」…。頭の片隅にも以前TVで見てちょっと印象的だった「合気道」が…。。。。こういう暗示のように何度も出てくる場合は、これは習えってことなのかなと思いまして(経験上)、いろいろと道場を探すと、これまた縁のある場所にちょうどよい感じの道場がありました。

「なぜ私が合気道を?」と不思議でしたが、とりあえず、「合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録」を読んでみたらしっくりはきました。ただ、それでも、「運動神経のない体を動かすことが嫌いな私が武道?なんで?」という思いはずっとありました。

しかし、保江邦夫先生の著書を沢山読んで合気道に対してとても興味が出てきておりますが、この「合気眞随 愛魂、舞祈、神人合一という秘法」に、「合気」は、元々神社で神主と巫女が密かに行っていた神前の儀式」とありますし更に「合気」を身につけたくなりました。

前置きが長くなりましたが、それではザックリとまとめてみようと思います。(とても大事だけど載せない部分もあります)

 

・「とは、人が神を降ろし神と一体になるための祈りそのもの。神人合一によって神と一体になって無敵の境地を体現することにより、敵意ある攻撃からその身を守るという秘法こそが「合気」の真髄」

世阿弥「心を空にして神が下りてくることが舞」「踊るのではなく神に踊らされるのが舞」

・「合気道神道」であり、合気道の動きは祝詞に合わせた「舞」

大東流(元は「やまとりゅう」と呼ばれていた)における「合気」は、元々神社で神主と巫女が密かに行っていた神前の儀式で「手乞い(別名 「御留め技」「御式内(ごしきうち)」の中心的な役割を果たす働き

・「手乞い」は古事記に記述があり、そもそも神主が神様を降ろし、か弱い巫女が体格の大きな男を投げ飛ばすという神秘的な行だったらしい

・手乞いのような行はユダヤ教や、古代オリンピックレスリングなどにもある。レスリングではそれぞれの控え室に瞑想部屋があり神官が神が降りてきたのを確認して試合が始まっていた

会津藩家老 西郷頼母は「手乞い」の行司を務めた神職で、いつでも神降ろしが出来た

武田惣角の父は会津藩の宮相撲の力士(神職)・剣術家であり、長男が亡くなり次男の惣角が西郷頼母に預けられるが、短期間で逃げ出した

合気道開祖 植芝盛平翁は、「私の武術は九鬼神傳の武道である」と語られ、九鬼神傳天眞兵法の巻物も数巻傳はって居り、また九鬼家の宗司する艮の鬼門金神を奉斎している旨を語られた

藤平光一師範の心身統一合気道の初期の頃の昇段試験では、「禊ぎ祓いの祝詞」を正座して一時間以上奏上できなければ合気道の技に進めなかった…藤平先生ご自身からは、これは剣の達人として名高い山岡鉄舟が伝えていた行であり、剣術や合気道に限らずあらゆる武道の根幹となっているとの話があった

合気道の正式名称は「天之叢雲(あめのむらくも) 九鬼武産(さむはら)合気道

会津藩家老 西郷頼母神職として継承していた「手乞い」あるいは「御式内」の秘儀はいったん失伝したかに見えたが、九鬼神流の神伝秘法を修得した植芝盛平翁により蘇った

・スイス在住の池田昌富師範は合気道の技をなさるときは常に祝詞を奏じておられていた

・ロシア武術「システマ」のミカエル・リャコブ師  「神への祈りで大切なのは、神に自分のことを好きになってもらえるような自分になるためであり、単に強さを神に求めるのではない。…~ロシア正教に伝わる秘儀としての礼拝時における聖歌が重要となり、聖歌を唱和している限りは決して暗黒のものが入り込むことはない」

・合気眞随、それは神を人を結ぶ…ループ状の線路と途中駅の総称(神=神道=舞=祈り=舞祈=愛魂=神降ろし=慈愛=言霊=人)であり、その上を駆け巡って行くならば神人合一の境地に至ることが出来る我々人類に与えられた秘法。清く、明るく、美しく生きている人であれば、誰もが皆至ることが出来る高天原たかあまはら)。

 

では。