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和気清麻呂公の 妙見宮(御祖神社) 八重桜とツツジ

f:id:amenohitsuki:20170422013448j:plain 八重桜も雲ももくもく

妙見宮(御祖神社)。今年は枝垂桜には間に合いませんでしたが、八重桜とツツジは綺麗でした。

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道鏡が起こした宇佐八幡宮神託事件で国難を救った和気清麻呂公の4男磐梨妙運によって創建された妙見宮(みおや神社)の主祭神は 天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神造化三神。 (大阪のサムハラ神社の祭神も同じく 天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神

和気清麻呂公の銅像皇居外苑 大手濠の中ほどにもあります。皇居周辺に銅像が建っているのは物凄い国難を救った和気清麻呂公と、楠木正成公(楠公)だけです。

 

由緒と歴史 | 足立山妙見宮-御祖神社

myouken.or.jp/page-62/より 部分的に引用
 

西暦769年

称徳天皇神護景雲三年(西暦769年)太政大臣法王弓削氏道鏡皇位につくのが相応しいというお告げが出た。
それに疑問をもった朝廷が和気清麻呂(以下、公)に勅命をだし、神のお告げが本当であるかを確かめる為、宇佐神宮へ行くよう命じた。 
その結果、「道鏡は、皇位に相応しくない」というお告げが出た事を朝廷に報告すると、それに怒った道鏡は、公を鹿児島に追放しようとした。
その途中、豊前のすわえ田村に漂着した公は、道鏡の追っ手から足の筋を切られるが、数百頭の猪が公を助け、再度、宇佐神宮に詣り神告を受けた。
その神告に従い公は、現在の小倉北区湯川にあった霊泉につかると、たちどころに足の傷が治った。
そこで、公は、近くの立山に登り、造化神北辰尊星妙見に天皇の安泰と反逆者がいなくなることを祈った。

すると、造化の天神が現れ『汝の願い聴きいる』という神託をうけた。

770年

光仁天皇が即位し、天皇家は、安泰となった。
また、道鏡は、下野国に流され、公は、平城の京に呼び戻された。
公は、四男磐梨為綱(出家して妙運)を造化天神降臨の地、足立山に送り、足立山妙見宮を創建した。

947年 村上天皇の勅願所となった。

1520年頃

後柏原天皇より「うら菊」の紋章を授かる。
この紋章は、全国神社の紋章としては妙見宮だけのもの。この紋章は和気氏の流れ、和気明親が後柏原天皇(1501~1526)から、和気氏の家紋として頂いた物である。従って和気氏と同じ流れの妙見宮の杜家が、これを神社の紋章として使用した物である。

1601年

下宮を現在の場所に移した。
細川忠興が、眼病平癒を祈願し、この成就により妙見宮下宮を現地に移して鎮祭した。 その際、日向から取り寄せた松を植樹している。

 

ねずきちさんのひとりごと さんが宇佐八幡宮神託事件のことを詳しく書かれていますのでどうぞ。

和気清麻呂 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2441.html